バチカン・ミステリー

travis

2014年05月28日 19:24

今日こんなNEWSが目に入りました。

法王、性的虐待「醜い犯罪」 3司教を調査中

初の南米から選出されたローマ法王フランシスコ

かつてはナイトクラブの用心棒をしていたそうです


 【ローマ法王専用機中、共同】中東歴訪を終えたローマ法王フランシスコは26日夜(日本時間27日午前)、同行記者団と専用機内で会見し、世界各地で発覚したカトリック聖職者による未成年者らへの虐待問題について「醜すぎる犯罪で絶対に許されない」と批判、虐待に関与した疑いがあるとして、3人の司教を調査中だと明らかにした。

 法王は4月に「個人的に許しを乞いたい」と公式の場で初めて謝罪。26日の会見では謝罪はしなかったが「悪魔のような集団」と、虐待に関与した者を厳しい言葉で非難した。6月上旬には欧米の虐待被害者らとバチカンで面会するという。

47 NEWSより

という内容です。


政治家などはよくありがちだけど(政治家はこれはないか??)、しかし、バチカンに関する黒い噂・真実は以前からあったが
みかけは聖人のふりをした悪人だったなんて。ショックですが、個人的にはまたか?って しかし過去にもっと凄い事件が↓改革を推進した人が??


世界が驚愕したバチカン・ミステリー

バチカンの事件に関わるキーマン?


1 ロベルト・カルヴィ



WIKIより

ロベルト・カルヴィ(Roberto Calvi、1920年4月13日 – 1982年6月17日(遺体発見日))は、イタリアの銀行家。バチカンの資金管理を行う銀行であったアンブロシアーノ銀行の頭取であったことから、「教皇の銀行家」と呼ばれていた。

その後は行内で順調に出世の階段を上がり、1971年には投資部門の責任者になり、バミューダやパナマなどでのオフショア取引を進めるなど積極的な事業展開を進めた。

フリーメイソンの会員とマフィアとの関係

 また、1969年には、ネオ・ファシストの極右政党であるMSIやCIAと深い関係を持っていたリーチオ・ジェッリリーチオ・ジェッリ(Licio Gelli、1919年4月21日-)は、イタリアの極右政党イタリア社会運動(MSI)幹部、投資家、元フリーメイソンの「ロッジP2」代表)が代表を務めるフリーメイソンの「ロッジP2(Propaganda Due)」の会員となり、ジェッリを通じて、バチカン銀行の財政顧問も務めた弁護士で、自らが経営するミラノのプライベートバンクを通じてマフィアのマネーロンダリングを行っていたミケーレ・シンドーナとの関係を結んだ。


2 リーチオ・ジェッリリーチオ・ジェッリ
リーチオ・ジェッリ(Licio Gelli、1919年4月21日-)は、イタリアの極右政党イタリア社会運動(MSI)幹部、投資家、元フリーメイソンの「ロッジP2」代表
後からも出てきますから注目

3 ミケーレ・シンドーナ
(ミケーレ・シンドーナ(Michele Sindona、1920年5月8日 - 1986年3月22日)は、イタリアの弁護士で銀行家。マフィアのマネーロンダリングや金融捜査官の暗殺を行い有罪判決を受け、刑務所内で不審死をとげた。)





そのシンドーナは
バチカン銀行総裁とJ.Fケネディ、アメリカ・マフィアとも親しい間柄

 
 なおシンドーナは、第二次世界大戦後から、ラッキー・ルチアーノやジョー・アドニス、ヴィト・ジェノヴェーゼらのアメリカのイタリア系マフィアや、サルヴァトーレ・リイナなどのシシリア系マフィアなどのマネーロンダリングを手掛けていたことで知られていた他、これらの「裏世界」の人間だけではなく、バチカン銀行総裁でアメリカのシカゴ出身のポール・マルチンクス大司教や、さらにマルチンクス大司教と昵懇の仲で、マフィアと関係の深かったジョン・F・ケネディとも親しく、さらにリチャード・ニクソン政権の財務長官を務めた銀行家のデヴィッド・M・ケネディなどの「表」の人物とも深い関係にあった。

4 ポール・マルチンクス大司教
ポール・カシミール・マルチンクス(Paul Casimir Marcinkus、1922年1月15日 - 2006 年2月20日)は、アメリカ生まれのカトリック大司教で、「バチカン銀行」の元総裁。


この人も最後まで出てきます



バチカン改革を行うはずのヨハネ・パウロ1世が就任33日で急逝
 
 また、マルチンクス大司教もアメリカ在住時から、「ロッジP2」のメンバーのマフィア関係者との深い関係が噂されていた他、1978年8月の法皇就任時に、バチカン銀行の改革(マルチンクス大司教の追放とアンブロシアーノ銀行との関係見直しを含む)を表明していたものの、就任後わずか33日で急逝したヨハネ・パウロ1世の「暗殺」にも関与していたと噂されていた

カルヴィはアンブロシアーナ銀行頭取

  その後はシンドーナとともに、マルチンクス大司教の庇護の下、バチカン銀行を経由してマフィア絡みのマネーロンダリングと不正融資を率先して行い、1975年にはアンブロシアーノ銀行の頭取に就任した。
 
  シンドーナの逮捕! そして不審死
 
 しかし、1974年にシンドーナが経営していたプライベートバンクが、3億アメリカドルを超える負債を抱え経営が悪化したことや、同じくシンドーナが経営権を持っていたアメリカのフランクリン・ナショナル・バンクも同時に経営状況が悪化したことを受けて、イタリアの財政局がシンドーナに対し横領罪での調査を進めた。シンドーナは逮捕を逃れるべくアメリカへ逃亡したものの、1976年にニューヨークで逮捕され23件に上る横領罪で起訴された。

 なおカルヴィは、シンドーナが逮捕された際に、約50万アメリカドルの保釈金を支払うようにシンドーナから依頼されたが、これをかたくなに無視し続けたため、このことに激怒したシンドーナがイタリアやアメリカのマスコミに対してカルヴィの「犯行」を暴露するなど関係が悪化した(シンドーナは3年間イタリアで服役した後に釈放されたが、1979年10月にニューヨークで誘拐事件の自作自演を行った末に再び逮捕された。刑務所内で不審死をとげた。



当時の教皇ヨハネ・パウロ2世は改革に関心なく

5 ヨハネ・パウロ2世

ヨハネ・パウロ2世は、ポーランド出身の第264代ローマ教皇。ラテン語表記に基づきヨハネス・パウルス2世とも表記される。本名はカロル・ユゼフ・ヴォイティワ。 ハドリアヌス6世以来455年ぶりの非イタリア人教皇にして史上最初のスラヴ系教皇。同時に20世紀中最年少で着座した教皇でもある。



カルヴィも10−15億アメリカドル使途不明金 。
銀行破綻!!転落
海外逃亡


この様な状況下におかれたものの、ヨハネ・パウロ1世を継いで1978年10月に第264代ローマ教皇となったヨハネ・パウロ2世が、急死した前任者と打って変わってバチカン銀行の改革に熱心でなかったこともあり、その後もカルヴィは、マルチンクス大司教の庇護の下バチカン銀行を経由したマフィア絡みのマネーロンダリングと不正融資を続けた。
しかしその後、アンブロシアーノ銀行を経由した不明朗な資金の流れは、イタリア政府関係者やイタリアをはじめとする各国のマスコミの疑念を呼ぶこととなり、1981年から1982年にかけてイタリア中央銀行による大規模な査察を受けた結果、およそ10-15億アメリカドルに上る使途不明金を抱えていたことが明らかになり、1982年5月に破綻した。
なおカルヴィは、アンブロシアーノ銀行の破綻とそれに伴う議会の公聴会への招聘の直前に、何者かの助力を受けて偽造パスポートを使い国外に逃亡していた。



カルヴィ「首吊り死体」発見

各国の当局やマスコミから身柄を追われていたカルヴィが、1982年6月17日の未明に、イギリスの首都、ロンドンのテムズ川にかかるブラックフライアーズ橋の下で「首吊り死体」の姿で発見されたため、当事者のバチカンとイタリア、イギリスの各政府のみならず、全世界を揺るがす大騒動となった。
カルヴィの死体が発見された当時は単なる自殺であるということで片付けられたものの、ロンドンの中央に位置するブラックフライアーズ橋に、まるで見せしめのように死体が吊るされていたことや、死体の位置が自ら首を吊ったとするには無理がある状況であったり、なぜか衣服のポケットに別の場所で入れられたと見られる小石や煉瓦が入っていたりと、死体の状況が単なる自殺とはあまりにもかけ離れた状況であることから、その後遺族らによって再捜査を依頼されたスコットランド・ヤード(ロンドン市警)が再捜査を開始し、最終的に1992年に他殺と判断された。
また、イタリア警察当局も2003年7月にカルヴィの遺族の依頼により遺体を掘り起こし再鑑定した結果、「他殺され発見現場に運ばれた」との判断を下しており、現在はイギリスのみならずイタリアでも他殺されたとの認識が一般的である。なお、カルヴィの墓には、死去した場所として「ロンドン」と書かれている。


捜査と裁判

アンブロシアーノ銀行破綻とそれに続くカルヴィ暗殺事件には、マルチンクス大司教をはじめとするバチカン関係者やイタリア政財界のみならず、「ロッジP2」のジェッリ代表やマフィア関係者、ユダヤ系金融家で大富豪のジェームズ・ゴールドスミス、果ては事件当時のローマ教皇であったヨハネ・パウロ2世とともに、出身国であるポーランドの反体制(=反共産主義政府)組織である「連帯」を資金援助していたCIAに至るまで、様々な組織の関与が噂された。

 なお、暗殺の直接的な理由として、「アンブロシアーノ銀行破綻と、その主因であるマネーロンダリングや不正融資における中心人物であったカルヴィの口封じ」や、「アンブロシアーノ銀行破綻により、多額の資金を失うことになったマフィアやイタリア政界上層部による復讐」など多くの理由が噂された


フリーメーソン 「ロッジP2」とジェッリ代表


先ほどもでた黒幕:リーチオ・ジェッリ詳細↓



前イタリア首相兼実業家ベルルスコーニもロッジのメンバー



事件に先立つ1981年3月に、アンブロシアーノ銀行の使途不明金に対する関与や、1980年に起きたボローニャ駅爆破テロ事件を含む複数の極右テロへの関与などの容疑でイタリア当局に逮捕状が出されていた「ロッジP2」のジェッリ代表のナポリの別宅をイタリア警察が捜索した際に、「ロッジP2」に、第二次世界大戦後の王制廃止により亡命生活を余儀なくされていたヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア元イタリア王国王太子をはじめ、30人の現役将軍、38人の現役国会議員、4人の現役閣僚、更には情報部員や後にイタリア首相となるシルヴィオ・ベルルスコーニやカルヴィ、シンドーナなどの実業家、大学教授など932人のメンバーがいることがジェッリ代表が持っていたリストから確認された。


フリーメイソン破門 

 1978年以降はフリーメイソンのロッジとしての認証を取り消され、「認証されないロッジ」となっていた上に、上記のような極右テロを含む数々の罪状でイタリア当局から逮捕状が出されていたジェッリ代表が率いる「ロッジP2」に、多数の政財界の大物や元王太子までがメンバーとなっていたことは大きな批判を呼び、「P2事件」と呼ばれイタリア政財界を揺るがす大スキャンダルとなった。
これらの事態を受けフリーメイソンは、他のロッジに所属しつつ「ロッジP2」のメンバーとして活動していた全てのメンバーを、「フリーメイソンの名をかたった上で、フリーメイソンにふさわしくない活動を行った」として1981年10月31日に正式に破門した。また同年12月24日には、アレッサンドロ・ペルティーニ大統領が「ロッジP2」を「犯罪組織」と指名し、議会に調査委員会が発足した。
ジェッリ代表は、当局の捜査が入る前に、逮捕を逃れるためにスイスに逃亡していたが、1982年にジュネーヴで逮捕され、上記の容疑にあわせ、1970年代にトスカーナで発生した25件の極右テロに対する資金的援助の容疑で、イタリアとスイスの裁判所から有罪判決を受け服役した。しかし、その後数回に渡り脱獄と逮捕を繰り返した。なおこれらの一連の脱獄には、ジェッリ代表と親しかったジュリオ・アンドレオッティ首相を含むイタリア政界関係者やマフィアの関与があったとみられている。
なおジェッリ代表は、第二次世界大戦前のベニート・ムッソリーニ政権時代には、ファシスト党の「黒シャツ隊」のメンバーとして知られ、第二次世界大戦終戦後にはドイツの戦犯のアルゼンチンやブラジルなどの南アメリカ諸国への逃亡補助を行った他、冷戦下においても、極右政党でネオ・ファシスト党として知られるMSIの党員や、イタリアにおける共産主義勢力の浸透を抑えるべく奔走していたCIAの協力者となっていた。さらに、アルゼンチンのファン・ペロン大統領とも親しく[3]、「汚い戦争」真っただ中のアルゼンチンの駐イタリア大使館の経済顧問となっていたことも明らかになっている。

捜査妨害
中心人物は当時のイタリア首相。 



6 アミントレ・ファンファーニ元首相

アミントレ・ファンファーニ(イタリア語: Amintore Fanfani, 1908年2月6日 - 1999年11月20日)は、イタリアの政治家、経済学者(経済史 ... 首相(第9・13・16・17・41・44代)、 労働社会政策相、外相、元老院(上院)議長、元老院議員、キリスト教民主主義書記長。



 事件当時のジョヴァンニ・スパドリーニ政権のニーノ・アンドレアッタ財務大臣は、アンブロシアーノ銀行の破綻の責任を追及するために徹底的な調査を行おうとしたものの、マフィアとの関係が噂されたイタリア政界の実力者のアミントレ・ファンファーニ元首相(1982年12月にスパドリーニ政権を継いで再度首相となる)からの抵抗にあい、その後まもなく失脚し、ファンファーニが政界中枢から姿を消す1990年代中半までイタリア政界の中枢から距離を置くことを余儀なくされた。
また、カルヴィが暗殺された翌年の1983年には、「アンブロシアーノ銀行の破綻の責任者である」として、バチカン銀行の総裁であったマルチンクス大司教に対してイタリア検察から逮捕状が出たが、その後バチカンという「外国籍」のマルチンクス大司教に対する逮捕状は無効とされ、その後もマルチンクス大司教に捜査の手は及ぶことなく、ヨハネ・パウロ2世の事実上の庇護下で1989年までバチカン銀行の総裁を務めた。




相次ぐ関係者の怪死

カルヴィの暗殺前の1979年には、バチカン銀行とアンブロシアーノ銀行の関係と、その投資内容を調査していたイタリア警察の金融犯罪担当調査官のジョルジョ・アンブロゾーリが自宅前で銃撃され暗殺されている他、カルヴィが殺された同月の1982年6月には、アンブロシアーノ銀行の歴代頭取の秘書を務めていたグラツィエラ・コロケルも投身自殺したとされる。
その後1986年3月21日には、アンブロゾーリ調査官の暗殺をマフィアに依頼したとして逮捕、投獄されていた、カルヴィの共犯者でもあったミケーレ・シンドーナがイタリアの刑務所内で服毒自殺したが、他殺が疑われているなど、両行にまつわる不可解な暗殺事件が多発した。



関係者による暴露

 1991年7月に、イタリアの司法当局への情報提供者と転向したマフィアの構成員のフランチェスコ・マリーノ・マンノイアは、「カルヴィが殺害された原因は、アンブロシアーノ銀行破綻によりマフィアの資金が失われた報復であり、実際にカルヴィを殺害したのは当時ロンドンにいたマフィアのフランチェスコ・ディ・カルロであり、殺害命令を下したのは、マフィアの財政面、主にマネーロンダリングに深く関わったことから『マフィアの財務長官』と呼ばれたジュセッペ・ピッポ・カロと、『ロッジP2』のジェッリ元会長であった」と暴露した。

ジュセッペ・ピッポ・カロ
ジュゼッペ・"ピッポ"・カロ(Giuseppe 'Pippo' Calò, 1931年9月30日 - )はシチリア・マフィアの一員。彼はマフィアの財政面、主に不正資金洗浄に深く関わったことから、「マフィアの財務長官」と呼ばれた。通称「ピッポ・カロ(Pippo Calò)」。

 

   2008年まで続くミステリー

  しかし、2007年6月6日にローマ地方裁判所は5人の被告全員に対して「証拠不十分」として無罪判決を下した。この判決内容についてカロは獄中から、「私はカルヴィを殺害することに関心は持たなかった」、「私にはそんな時間もそう思うことも無かった」、「仮に私がカルヴィの死を望んでいたならば、殺害は自分の部下達に任せるだろうと思わないか」。と述べ、自己防御の為の論陣を張った。
「オルランディ誘拐事件」
さらに2008年には、カルヴィの息子のカルロ・カルヴィが、バチカンの職員の娘のエマヌエーラ・オルランディが1983年6月22日に誘拐されたものの未解決となっている事件について、「オルランディ誘拐事件は、アンブロシアーノ銀行破綻やカルヴィ暗殺事件へのマフィアの関与についてバチカンが『余計な証言』を行わないように脅迫するために、マフィアによって起こされたものである」との見解を表明した(なお同年6月には、マフィアの大ボスの元愛人が「オルランディ誘拐事件の首謀者はマルチンクス大司教である」という証言を行っている)。


先ほどもでた聖職者マルチンクス大司教



 ゴッドファーザーのパートⅢの作品にも描かれた司教の暗殺・マフィアとの癒着

事件を扱った作品[編集]

「霧の会議」(1987年、文藝春秋)
松本清張の小説。フィクションの形式で、カルヴィ(作中では「リカルド・ネルビ」)の変死過程に関する、著者の仮説が描かれている。
「ゴッドファーザーPARTIII」(1989年、アメリカ)
マルチンクス大司教がバチカン銀行の総裁を退任した1989年に公開されたこの映画において、ロベルト・カルヴィ暗殺事件とヨハネ・パウロ1世の教皇就任直後の突然死が、長年のバチカンとイタリア政界、マフィア3者の癒着を象徴するプロットとして使用された。しかしながら、カトリック教会のみならず、カトリック教国並びにキリスト教にとって一種のタブーである2つの事件の関係を堂々と扱ったことが影響したためか、同作はアカデミー賞にかろうじてノミネートはされたものの、最終的に1部門も賞を得ることは出来なかった(カルヴィは、バチカン銀行のユダヤ系スイス人の「フレデリック・カインジック」という役名になっている。なお、カインジックを演じたのはヴィスコンティ映画で活躍したヘルムート・バーガー)。

「法王の銀行家 ロベルト・カルヴィ暗殺事件」(2002年、イタリア)
事件そのものを扱ったイタリア映画。ジュゼッペ・フェッラーラが監督を務め、オメロ・アントヌッティやジャンカルロ・ジャンニーニなどが出演した。
「ゴルゴ13 聖なる銀行」(2007年)

興味のある方は、7 イタリア政界の黒幕:魔王と呼ばれた男 ジュリオ・アンドレオッティ
ジュリオ・アンドレオッティ(イタリア語: Giulio Andreotti, 1919年1月14日 - 2013年5月6日)は、イタリアの政治家。

首相(第27・28・33・34・35・47・48代)、外相、国防相、内相、金融相、国庫相、通商産業工業相、公営企業相、文化財・文化活動相、上院議員(終身)、下院議員(11期)を歴任。
顔をやさしそうな人ですが?


http://ja.wikipedia.org/wiki/ジュリオ・アンドレオッティ

悪い奴ほどよく眠るというけど本当の●●●●ははたして???

個人的見解ですがこんな凄い関わりをもってよく長生きしている方は要注意かもしれません!!????



最後に現ローマ法王フランシスコ様

改革を推進すれば歴史を覆すような事件にまきこまれるかもしれませんができるだけがんばって下さい。


コーザノストラ

コーサ・ノストラ(La Cosa Nostra)とは、イタリア語で「我らのもの」を意味し、一般的にはマフィアとして知られる秘密結社的犯罪集団とされるが、正確にはマフィアとコーサ・ノストラは区別される。マフィアという呼称は、時期は不明であるが18世紀末から19世紀初頭にイタリアのシチリア島で発生し、19世紀末から始まったアメリカへの移民と共に、イタリア国外へと進出し世界的な組織と成長していった、一方コーサ・ノストラは第二次世界大戦中にアメリカが強制送還したラッキー・ルチアーノに対してつけられた組織(ギャング)を言う。
また、イタリア語ではコーサ・ノストラと発音するがシチリア語ではコーザ・ノストラと発音する。
「コーサ・ノストラ」≒「ギャング」「愚連隊」などであり国籍を問わない、「マフィア」という言葉は世界で使われるが、他のンドランゲタ、カモッラ、サクラ・コローナ・ウニータ(it)と並ベイタリア4大マフィアの一つとする場合はシチリアで生まれ育った生粋のシチリア人のみである。


血の掟(ちのおきて、Omertà

とはシチリアのマフィアにおける約定。服従と沈黙の掟、オメルタの掟とも言う。マフィアのメンバーになるための誓いをするとき、互いの親指に針を刺し血を出して、それを重ね血が交わることで一族に加わったとする儀式を行うことからこの名が付いた。俗にマフィアの十戒とも呼ばれる。



さらに、興味のある方はこの3冊お薦め↓




バチカン・ミステリー



ジョーン・コーンウェル著   林陽 翻訳

バチカン株式会社―金融市場を動かす神の汚れた手 [単行本]



柏書房 ジャンルイジ・ヌッチィー著 竹下・ルッジェリ・アンナ 監訳 花本知子・鈴木真由美 翻訳

バチカン・シークレット---教皇庁の秘められた二十世紀史 [単行本]



ベルナール・ルコント著  吉田春美翻訳


最後に、今なお続くバチカン・ミステリー
2年前にバチカン 極秘情報を持つシステム・エンジニア失踪!↓

バチ・リークスHPより

http://japanese.ruvr.ru/2012_06_16/bachikan-shisutemu-enjinia-shissou/

http://matome.naver.jp/odai/2135620809551493301

前任のベネディクト16世は、過去600年の歴史の中で
なぜ任期半ばで辞めたのか?↓


BBC WORLD NEWSより
https://www.bbcworldnews-japan.com/uk_topics/view/0000245

〒901-2223沖縄県宜野湾市大山4-2-1 102
OPEN13:00-20:00
☎098-943-8474
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